自分の弱い部分と戦う

自分の弱い部分と戦う。劣等感とか無力感とかさびしさとかね。なびぞうはそりゃもう全力で、本気で戦ってきました。戦っていると自覚したのはたぶん10代です。良く覚えていないどね。いちばん壮絶に戦っていたのは20代から30代です。自分探し、キャリアアップ、自己啓発、自分育て?

 

やー、今思い出しても冷や汗でます。ほんとに出ます。痛すぎる自分に泣きそうになります。そしてその頃の自分を否定する気にもなれません。その頃の自分があったから今の自分があるわけだからね。

 

無理をすると壊れる。それは機械も生体も一緒です。なびぞうのボディはそんなに丈夫じゃないのでけっこうよく壊れます。ちなみに頭も弱い。すぐ鬱になります。

 

致命的に近い故障が起こる前には必ず小さなサインがあります。しかし、小さなサインに気付けるときはそんなに無いです。故障が起きてあとになってから「ああ、あれがサインだったんだなあ。」と気付くわけです。

 

弱い部分を強くしようと思ったり、弱い部分を補完するために鍛えたり働いたりしていたはずなのに、弱い部分は弱いままです。んで、鍛えた部分、ある意味もともと得意な部分ばかりが発達して、ますます悪くなるバランス。んで、その悪くなるバランスに気付かないようにさらに鍛える鍛える。

 

経験と評価がついてくるとちょっと自分も誤解しはじめるのですね。「お、一人前!?」って。でもそれはあくまでも他者による評価でして。自分のコアの部分が発するサインは無視していますから、背中の奥の底にある部分では納得していません。その納得していない部分をなんとか納得させようとしてまた他者からの評価や目に見える結果をたたきだしていきます。

 

でも、身体がサインを発します。またそれを無視します。それをひたすら繰り返していました。治療家として致命的な事故を起こしたり、突然倒れて入院しても気付かないふりをしていたんだけどね、はははははは。

 

ここで、ラッキーだなあと思うのはいつも紙一重で死なないところ。いつもギリギリで誰かが助けてくれたり、もうちょっとアレだったら死んでたなってところでなんとかなります。こないだできてた腫瘍も良性でした。それも2年連続で!別の部位で!イエーイ。

 

というわけで。

 

最近もうさすがに自分と戦うのやめようかと。というか。

一番弱いところ、一番やりたくないところと取り組む計画。うあああああ。その弱点を見たくないがために鍛えてきた30余年を否定するかのような行動。

 

 

 

はい。自分の弱さを認める、です。

できない自分を認める、

人に認められない自分、

美しくない自分、

かわいくない自分、

尊大で傲慢な自分、

だらしなくて怠惰でぐずぐずでもてない自分、

女性として価値の無い自分、

生きている価値の無い自分、です。

そしてそれらをなかったことにしている自分。

うっすら気付いていたけどどっかであきらめて

どっかで言い訳していた自分を受け入れる。

 

 

 

 

 

これ、すごく勇気いります。

そしてとても恥ずかしいです。

 

 

 

 

 

でもさ、

 

 

 

 

 

 

 がんばってきて、

その自分の弱さと向き合う強さをやっと得ることができたんだよね。

 

 

 

どうもありがとう。

うまくいかないこともあるけど

ちょっといろいろあって

人生初ガチで筋トレをしています。

 

ま、ガチと言っても所詮は

文化系スポーツトレーナーですから 

(スポーツトレーナーに

文化系というジャンルがあるかは

わかりませんが。)

体育の成績表は取れて3、たいていは2、

体育教師とケンカして1とか~。

 

団体行動ができないから

チームスポーツは無理。

個人競技をやれるほどストイックではない。  

とにかく学生時代はただのオタク女子だったわけですからガチの筋トレといっても

ふつーに筋トレやってるだけです。

 

 

 

 

 

 

いや。

嘘だ。

 

 

 

 

 

今自分に嘘をついた。

 

 

 

 

 

たぶんふつーじゃない。

 

 

 

 

 

 

たぶんかなり少数派だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

ゴールドジム

パーソナルトレーニング

始めちゃった(・∀・)。

 

 

 

それもフリーウェイト。

big3

 

 

 

 

 

ちくしょう

ベンチプレス

バーだけで20キロあるよ!

3回しか持ち上がらなかったよ!

 

 

体育会系の皆様、

私が脳内で『脳みそも筋肉でできてる』

と呼んでいた皆様、

大変申し訳ありませんでしたm(__)m。

 

ベンチプレスがこんなに難しいとは

思っていませんでした。

心からお詫び申し上げます!

 

(あ、語弊があるとやだから

書いておくけど、全ての運動選手を

そう思ってたわけじゃないよ。

スポーツや武道は極めて高度に知的な

作業だと思っています。)

 

 

ゴールドジムのトレーナーさんに

初心者講習飛ばしてパーソナル始めた

不思議な人と呼んでいただいています。

(でもさ、初心者ほどパーソナルが

良いと思うんだよね。変なクセついたらイヤじゃん。)

 

 

とりあえず、ベンチプレス40キロ

挙げられるようになろーっと。

 

⇧⇧⇧

っていう

数値化できる、

可視化できる目標を

割と否定しちゃうタイプなんだけど。

  

 

 

ま、本当に初心者だしね、

とりあえず続けてみようと思います。

 

 

社交ダンス始めた時もそうだったけど、

今回のパーソナルトレーニング

何を目標としているのか

何を目指しているのか

まったくわかりません!

でもさ、やってみたいの。

 

続けているうちに

何かが見えてくるかも知れないし、

何ににもならないかも知れない。

でもやってみたいんだ~(^o^)。

 

 

 

 

 

 

 

 

楽しいです。

 

warm,soft and moist

どんなに鍛えても身体は柔らかくあたたかい。

 

それはもう本当に例外なくそのとおりです。

 

金メダリストも科学者も老人も赤ちゃんも

生きているかぎり、その身体は柔らかくあたたかい。

 

まーくんも

まおちゃんも

はぶさんも

やすゆきちゃんも

柔らかくあたたかく湿った身体で

この世に存在しています。

 

どれだけ鍛えても

金属のようにはならないし、

どれだけ鍛えても

いつかは衰え死に至ります。

 

だからといって鍛える意味が

ないわけではありません。

 

とゆーか、

いつか終わるからこそ

鍛える意味があるのだと思っています。

 

 

 

身体だけでなく

心も魂も鍛えたいです。

 

ラッコライフ

どう考えても前世がラッコだったことがある。

これはもうなんと言うか 

自分の中では事実として存在している。

 

冷たい海にプカプカ浮きながら

『あ~、アワビうめ~o(^o^)o』とか、  

『や~、牡蠣って殻割るの面倒だけどやっぱクリーミーで最高!!』とか、

もうね、リアルなのよ。

 

目が覚めて、貝食べて、プカプカして寝る。

それの繰り返し。

 

夜は昆布をお腹に巻いて寝ます。

ちょっと幅広のつるっとした昆布を

お腹に巻くと軽い拘束感があって

なんだか安心するのです。

 

ほら、ハグされると安心するでしょ。

あんな感じ。

 

昆布巻くから胴体は安定してるけど

手足(あ、ラッコだから前足と後ろ足か!)は

縛られてないのでほど良く自由な感じ。

 

めっちゃモフモフの毛皮があるから 

冷たい海でも意外に快適です。

 

腋の下にあるポケットには

お気に入りの石が入っています。

石は貴重品です。

 

 

 

が、そんな幸せなラッコライフが

ある日突然終わる。

 

 

もともとかなりそそっかしいので、

大切な石をよく海底に落としたり

ぼーっとしているうちに

離岸流に流されたりはしてたんだけど。

 

 

その日のミスは致命的でした。

 

 

夜寝る前に巻く昆布の巻きが甘く、 

寝ているうちにほどけてしまったのだ。

そして目が覚めたらたら沖に流されてて

もう戻れないし

沿岸部じゃないから貝もとれなくて

寂しくてお腹すいて寒くてもうどうしょうもない。

 

ラッコは基礎代謝がやたら高いので、

餓死するまでにそんなに時間がかからなかったのがせめてもの救いか(-_- )。

 

寒さと空腹感で薄れる意識。

 

 

『牡蠣おいしかったな~(:_;)。』

が、最期の記憶です。

 

 

 

私が現世で腹巻きが苦手なのとか、

(女性鍼灸師は腹巻き好きな人が多い)

昆布や貝類に異常な執着を示すところとか、

大きいお風呂に入ると

つい仰向けで浮かんでしまうところは

前世の影響だと思うんだよね。

 

 

 

今の人生では居眠りして

電車乗り過ごしてしまっても命には関わらないし、

落とし物しても警察に届けると

案外戻ってくるので大変ありがたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すなおに

この間、

本当に本当に久しぶりに手紙を書いた。

 

自分の気持ちを手書きで文字にしていくのは

恥ずかしいような苦しいような

切ないような感じ。

 

ずっと心の中にためていた感情を

言葉にして、文字として可視化する作業。

感情という見えないもの、

あやふやなものを手紙にする作業。

 

ここしばらく悶々とため込んで

見ないふりをしていた感情に言葉を与え

手紙にして送り出してしまった。

 

 

 

そしたらねぇ。

えらくすっきりとしてしまいました。

あんなに悩んで、あんなに困っていたのに。

 

自分の気持ちを言葉にするって

とても勇気のいる作業だったけど。

 

そして、たぶん読まれずに

捨てられたと思うんだけどね。

 

それでも、言語化しておいてよかったなあと

思うわけです。

 

自分の中がすごくクリアになったもん。

大人になってから

今がいちばんクリアで素直だと思う。

 

自分の気持ちを素直に言葉にするには

自分が自分に素直にならないと。

 

 

 

 

 

今よりも

もっと素直に

もっと自分に正直になりたいです。

 

もっと自分らしく、

もっと自由に自分を生きたい。

 

 

 

 

慣れないことをやると疲れる。

今月はやったことないことばっかりやっているので心が身体がオーバートレーニング気味です。日頃使わない、伸ばさない筋肉を無理やり伸ばした感じ。なのでもうあちこちが筋肉痛です。まだ2月15日なんて信じられない。気分的には春分の日くらい。もう春が来て欲しいです。

 

精神のバンジージャンプをしてみたり(これ、今も落下中(^_^;)。足に縄ついてるのかよく確認しないまま飛び降りてしまった。無事着地できるのか?あ、いや、着地したらだめなのか。

ぎりぎりで足の縄がばいーん!!ってなってくれないと!!なるのか!?)

 

肉体的にもいろいろ新しいことをやってみたりしました。

 

なんかもうへとへと。

 

大胸筋と棘下筋と上腕三頭筋が筋肉痛なのはまだわかるけど、使ったことないからよくわかんない筋肉が筋肉痛になってる。何筋だ?これ。

 

脳内もなんだかよくわからん。

突然アルコール依存症が治ったり、

睡眠時間がやたら短くなっています。

 

変わろう、変えようと思い続けて何年かかっても、変わるときは一瞬だな。

ほんとにバンジージャンプみたいなもので

やってみようとどれだけ思い続けても、飛び降りるのは一瞬なのね。

 

最近良く読むナリ心理学で

10年努力するより1日勇気出すほうが人生変わるって書いてあったけどさ。

 

この2週間で10年分の勇気使った気分。

平均して5日に1度くらいのペースで勇気使いました。

 

まだ具体的にはなにも大きな変化はないけれど。

これだけ勇気使えば変化起きないわけないと

根拠の無い自信がわいてくるくらい激しい2月であったことよ。

 

 

 

なんか疲れすぎてハイになってるな。

徹夜明けみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

楽しいです。

忙しくしている理由

私は仕事を掛け持ちしていて、フルタイムで鍼灸学校の先生をやった後にスポーツトレーナーの会社で治療の仕事をしたりしています。学校の先生は意外と休日出勤があって、下手すると2か月くらい休みがなくなる。大きな試合があると選手の帯同をするので、丸一日つぶれます。朝早くから夜まで走り回ったりします。もう年末まで帯同のスケジュールが決まっていて、その日にあわせて選手の調整をするのでまあ大体試合前は慌しい。そのほか習い事や友達との食事などをしたりすると『自分の時間』みたいなものがなくなるんだよね。

 

好きな仕事だし、やりがいもある。習い事も好きだし、友達と会うのもすごく楽しいのでどれも『自分の時間』といえば自分の時間なんだけど。心の一番深いところで何かをマスクしている気がしていたんだよね。ま、でもそんなのフツーじゃないですか。見たくない自分をなんとかしようと思って一生懸命働いたり、自分を作っていくのが人生ってもんですよ。

 

さらに私はアルコール依存症でして。仕事が終わったら1秒でも早くお酒を飲みたい。そんなに大量に飲むほどではないのですが、とにかく頭を酩酊状態にしたいんだよね。自分の言い訳(言い訳と自覚している。)としては仕事で高速回転した頭をクールダウンしたい、回りすぎて止まらない脳内のスピードを落としたいっていうのがあって。翌日の仕事に差し支えない程度の飲酒ならば良いストレス解消じゃないと自分を納得させていました。

 でも、どっかでマスクしている自分にうっすら気づいている。でもまあ、そういうのってフツーでしょ。毎日お酒飲む人なんてたくさんいるし。

 

という暮らしを続けて早20年。仕事好きだしね。向いている仕事に就くことができたとも思っている。ほら、フツーは仕事ってどっか我慢したり、向いてないのにお金のために仕事するっていうじゃない。私そんなことないしね。良い職場、和やかな人間関係、やりがいのある仕事、ビバ☆ワーカホリックですよ。社会人として組織人としてそれなりに成熟してきているつもり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 仕事に対する自分のコアは『誠実であること、誠意を持つこと、親切であること。』

学生さん、クライアント、上司、同僚に対し常に誠意をもって素直に向き合うのを信条として働いてきています。同僚にも教え子にも恵まれる幸せな生活。心の通った関係性の上で仕事をするって本当にありがたく、満足しています。こんなに恵まれるなんて何に感謝すればよいのだろう。

 

 

 

って、考えていたのよ。自分は幸せなワーカホリックだと。多くの方たちに感謝されたり信頼されたりする人生。さらに定年も無いぜ!ああ、なんて幸せな人生だろう。

 

 

 

 

 

ってね!!

 

 

 

 

 

 自分は社会人として恵まれて、大人で、きちんとしているということに満足していたんですよ。

 

 

 

 

そして気づく。

 

対人モードの自分とプライベートモードの自分との乖離に。対人、対社会の私は割と大人できちんとしているのよ。(や、他者がどう思っているかはわかんないよ。でも自分としてはそうおもっているのよ。)でもプライベートの自分はひどい。本当に子ども。未熟で我がままで傲慢で不安で卑屈。ほんとにダメ人間。ぐだぐだっす。そしてそれに完全に甘えていたんだよね。

 

 

 

『私は仕事ができるからプライベートはぐだぐだじゃなきゃ。』って自分に思い込ませていたのよ。ははははは、頭悪いね。これなんかのコンプレックスだね、劣等感だね、無力感だね。

 

 

 

あたまわりーよ。

つか、気が付かないフリとかかっこわりーよ。

でも、仕事うまくいってるからいいやとか誤魔化してるよ。

あほうだったわ。

 

 

 

プライベートの自分っていうのはね、他者に対する自分じゃなくて、対外的な自分じゃなくて。自分に対する自分。これをもうずっとほっておいたんだよね。放置。んで勉強している、仕事している自分ばっかり育ててきてしまった。だって恥ずかしいもん。仕事モードの自分とあまりにも違いすぎるもん。もう一生見ないフリしちゃったほうがラクじゃない?そういう人たくさんいるでしょ。

 

 

 

 

 

 

でも、ほんとうは

人と向き合うように、きちんと自分と向き合いたい。

 

 

 

 

 

これが死ぬほど恥ずかしい。

でも『ナリ心理学』っていう人の文章で、

『その恥ずかしさで死んだ人はまだいない。』とのことなので

自分の中の恥ずかしさと向き合ってみようと思う。

 

 

 

そして、向き合うだけではなく行動に移そうと思う。

失敗したら痛いだろうな。でも、やりたいんだ。