美しいということについて考える

ここ5年くらい、きれいってなんだろ?って考えています。

きっかけは美容鍼灸の流行と、学校の対外イベントで美容について講義するためにいろいろ考えたり調べたりしたのが始まり。

 

で、キレイと美しいの違いを考えたり、

主観的な美と客観的な美について考えたりしてるわけです。

 

『美学』っていう確立されたジャンルがあるから、それ勉強したほうが良いのだけど、まずはちょっと自分のアタマで考えてみようと思ったので本とかは読んでないし、そこまで調べると自分が出したい結論とちょっと変わっちゃうかもと思ったのでとりあえず、いろいろぐつぐつ考えています。(しかし、やはり本は読んだほうがいいな。美学の本調べてみよっと。)

 

や、そもそもなびぞうが美について考えるっていうことが自分的にはもうすごいチャレンジ(^_^;)。

 

なびぞうは小さい頃の火傷とその後の皮膚移植のせいで右腕に大きな傷跡があります。そのほか両腕の肘から手の甲にかけて全面的にうっすらと火傷の跡があって、自分の醜さというか異形感にさいなまれていました。なにぶん目立つところにあるわけですから、いろんな人に聞かれるわけですよ。で、同情されたりするわけ。コドモってさ、ほめられたり可愛がられたりしたい生き物なのに同情されちゃうっていうのはわりと傷つきます。

さらにもともと傷の跡が残りやすい体質なので、体中あちこちにシミとか傷跡があるのも気になってね。なので、なるべく美しいとかきれいとかそういうことを考えるより、実用的なものやコトにフォーカスをしていたのです。美しくなくてもアタマが良ければなんとかなるかな?とか、仕事ができれば生きていけるかな?なんてことを考えるコドモでした。やなコドモです。

 

さらに今から思うとなんでか良くわからないんだけどいじめられていたので(どっちかっていうといじめる側の人間だと思うんだけどなあ。ははははは。)ブスとかデブとかブタとかそういうことを日常的に言われていたんだよね。コドモのうちってさ、人から言われたことそのまま信じてしまうではないですか。なので、あー、自分はお顔も体型もぜんぜんダメって思っていました。この自分に対する呪いみたいなものは30代中盤過ぎまで続くのだ。刷り込み恐るべし。

んで、こんなに醜い人が普通の人生は歩めないだろうと考えていたんだよね。手に職つけたのはこの辺が理由のひとつだったりします。

 

美について考えたり、自分を美しく装うなんていうのはすごく恥ずかしかったです。自分が『痛い人』になるような気がしてね。醜い上に痛いなんて最悪じゃないか。なので、なびぞうにとって自分を育てるイコール実務能力の向上、だったんだよね。他者から美しさで認めてもらえることはないだろうから、仕事が出来るとか、家事が上手とかで認められようという魂胆。美容なんかに割く時間も余裕もありませんでした。第一、ブスが化粧したってねえ。デブがおしゃれしたってダサいじゃないですか。

 

そんななびぞうが美について考えるようになるなんて、長生きはしてみるもんです。

 

そして、この『美』に対する、というか『醜』に対する呪いにかかっている日本人女性はすごく沢山いると思う。私はその呪いを解きたいのだ。

 

なびぞうの仕事は治療と教育です。

どちらも『その人にとって良いと思われる方向の道案内』が仕事なのね。

間違って覚えてしまった考えや動作を修正したり、

効率の悪い体や心の状態を改善するのがお仕事なのよ。

 

美醜に対する誤った理解という呪い。

この呪いの解き方を考えて実践していきたいのです。