何度目かの気づき

スピリチュアル業界はもとより

一般社会でも言われていること。

 

簡単そうだけど、

できている人には当たり前すぎて

自覚されないけど。

 

私もできているつもりだったけど

まだまだ足りなかった。

 

繰り返し繰り返し気付くのですが、

人を大切にしょうと思ったら

まずは自分を大切にしないと!

 

だいぶ大切にしているつもりだったけど

まだまだ足りなかった。

 

他者を尊重するならば、

まずは自分の内面や感情、環境を

尊重せねば。

 

通りいっぺんでなく、

その都度自分の感情を丁寧に感じ

きちんと受け止める。

 

本番で練習以上のことができないように 

日頃から自分を大切に扱わないと、

いざという場面に

大切な人を大切に扱えなくなってしまう。

 

自分の中の弱くてひがみっぽくて

短気で鼻持ちならない部分を

大切に扱う。

 

恥ずかしいし、

そこまで気にしなくてもと

思う時もあるけど。

 

筋トレと同じように

自分の内側も鍛えなきゃ。

使いやすいところばっかり使わないで、

弱いところ、使いにくいところも

使えるようになりたい。

 

 

誠実さ

人を傷つけてしまうときは

たいてい自分が自分に不誠実なときだ。

 

なんかね、かっこつけてんの。

たぶん羞恥心とか劣等感とか

嫌われたらヤだなとか

そういうごまかしの気持ちがある。

 

教員とか治療家とか

誠実とか信頼関係とかが大切な仕事してるから、

自分がとっても誠実な人間だって誤解してしまいます。

 

 

ああもう。

 

 

私が誠実なのはオフィシャルモードであって、

プライベートはもうひどい。で、その自分のプライベートな部分を自分でもあんまり見たくなくて仕事ばっかりやってるんだな。

だから仕事終わるとすぐお酒を飲むんだな。

だからだめんずウォーカーなんだな。

だから私生活がぐだぐだなんだな。

 

ちょっと休みがあると講習や旅行を入れてしまうのは

ゆったりとした時間を感じることができないのは

プライベートのダメな自分を見たくないからだ。

 

仕事ができる、仕事やってる自分で

人から見えない部分の自分をマスクしていたな。

 

 

これだよ。

 

 

仕事してるから、仕事できるからあとはいいでしょ。

って自分に言い訳している。

 

 

忙しいんだからって自分のコアの部分に接触しないようにしていたことに、

今回のことで気付く。

 

ああ。

 

 

 

だから私はひとりなんだ。

 

 

 

心から

きちんと接したい人に

オフィシャルモードと

プライベートモードのぐちゃぐちゃを

投げつけてしまった。それも良い人ぶって。

 

 

あああああああ。

これ、何度もやってるよ。

 

 

 

いい加減学習しろ。

 

 

 

たいしたキャリアや経歴があるわけでもないのに、

なにをかっこつけているんだ。

 

 

慣れた車だと思って

気軽に運転していたら、

人を轢いてしまったような状況。

 

 

こんなこと、もう最後にしたい。

もっと誠実でいればよかった。

嫌われたくなくて、

というか

嫌われる自分、というのが恐ろしくて

自分に嘘をついてしまった。

 

 

 

 

 

もっと自分に誠実になりたい。

もっと自分の弱さを受け入れたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

距離感

私は人との距離感が掴めない。

それはもう絶望的に掴めない。

大切な相手ほど

どうして良いのかわからない。

 

クライアントとか、

学生さんとか、

お互いの立場が明確な時はなんとかなるけど

そういうカテゴリに入らない相手に対して

どういう態度が適切なのか

もう本当にわからない。

 

何を言えば良いのか

何をすれば良いのか

全くわからなくなる。

そして一人よがりの

わけのわからない言動を取ってしまう。

 

 

そんなつもりはなかったのに

大切な人を傷つけてしまいました。

 

近づきたいと思ったのに

反対の結果になってしまって。

 

自分の愚かさに配慮の無さに

自分勝手さに泣く。

 

 

ひたすら申し訳ないと思う。

 

 

 

大切な人なのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

私の中の

私の外見は40代の女性ですが、

私の中には

餓死したラッコ、

肉食の小型恐竜、

明るめの50代後半のおじさん、

妄想好きな太った文学少女

暗く怠惰な14才のマンガ好きの少年、

自分で賢いと思っているアタマの悪い10才児、

自意識過剰のオタク女子中学生、

自意識過剰のまま痛い20代女子に

なってしまって気がついたら

働き過ぎの30代後半女性になってしまって

まあでも仕事面白いからいいやと

開きなおって黙々と働く人などが住んでいます。

そのほか、

独身のまま40代で死んでしまった香港の金持ちの娘とかもいます。この人はけっこう良い人だけど世間知らずです。

 

彼らは私の前世みたいなものだったり

きちんと育てないまま放置された

過去の自分の一部なんだと思う。

 

おじさんと黙々と働く人のふたりが

前面で頑張ってくれているので、

社会的にはまあ一応大人やっています。

 

が、しかし。

他の人達も私の中では大きな存在でして。

まあ、ラッコと小型恐竜は人じゃないけどね。

 

時折そういうものが自己を主張してきます。

無視するのが大人のやり方かもしれません。

 

でも、せっかくなので

割と丁寧に対応したりもしてます。

こないだ久しぶりに

スクリーンで香港のカンフースターを

見せたら少年と10才児と女子中学生がすごく喜んでくれました。

 

私の仕事は他者を大切に扱うことなので、

まずは自分を大切に扱わねばと

しばらく前に気がついてね。

 

仕事ばっかりじゃいかんなと

思っているところです。

 

ちなみに今日のこのブログは

妄想好きの太った文学少女が作成しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リュウ博士さすがだな

知り合いにリュウ博士っていう方がいて。

もうほんとに性格とか考え方が

全く違うのですごく参考になる。

 

こないだリュウ博士のブログに書いてあったことが

目から鱗だったので備忘録的に。

 

自己評価と

他者評価と

客観評価に 

相関性は無い。

 

うーん、これ

分かっているつもりだったのに、

ちっともわかってなかった!

メウロコ!

(エウレカ!の口調で。)

 

 

私がすごく尊敬して愛している人が

いるのだけどね、その方は自己評価がそんなに高くないです。

 

私自身もお弟子さんみたいな人達に

たくさん信頼して愛してもらっているけど

そんなに自己評価は高くない(^_^;)。

スポーツトレーナーとして

実績があるんだか無いんだか

よく分からないキャリア(客観評価)なのにね

若手達が慕ってくれます。

 

うん。

他者だろうが、自分のだろうが、

評価とか気にするの意味無いな。結論。

 

 

 

 

 

 

 

もういいの

あくまでも今日のなびぞうの意見だけと。

 

明日には変わるかもしれませんが。

 

今は他者の評価なんか気にしないで

自分の深いところ

自分の好きなことと繋がりたいです。

 

ふつうじゃないし

アタマ悪い選択だけど。

 

ダメだったら

のたれ死ねばいいだけだからね。

 

私は

私の行きたい道を

生きたいです。

 

 

仕事≠自分

なびぞうは仕事人間で

自分は仕事ができないと存在価値が無いと

ずーっと思っていたのですが。

最近その考えが自分を縛り、

逆に成長を妨げているように感じてきました。

 

自分を仕事で縛ると、

他者に対しての受け入れ幅とか、 

深さみたいなものが小さくなるなあ

って思うようになりました。

 

何かができてもできなくても、

何かをたくさん持っていてもそうでなくても。

 

そこに存在するだけで価値がある。

いや、

既に存在していないものにすら

価値を感じる時があります。